第23章 流離 |
「総統、スターシアさまが」 タランの声が、エアカーに乗り込もうとしていたデスラーを振り返らせた。 少女が走ってきた。 デスラーは思わず立ち上がった。 「スターシア」 「わたくしも、おつれ下さい」 走ってきたせいか、息をきらし、白い面がいつになく紅潮している。 わずかな沈黙の後に、デスラーが低い声で言った。 「よくよく熟慮の上か? 戻れば、又どのような辛苦が待ち受けているか、わからないのだぞ」 その言葉の厳しさは、さしものタランも思わず怯んでしまうほどであった。 だが、彼女は怯むことなく、まっすぐにデスラーを見つめた。 「先程言われたこと、もしも本当に、そのような希望を持って、生きてゆくことができるならば…」 大きく息をついで、 「どうかおそばに。…おそばにあって、如何なる形であれ、お役に立ちたいと思います.……未来のために」 その澄んだ蒼い双眸には、最早何の陰りも迷いもなかった。 帝都に向かうエアカーの中は、沈黙が支配していた。 腕を組んだまま、終始無言の総統の隣に、スターシアはひっそりと座っていた。 (以前よりも、少々面変わりされたような…) 前部席に座ったタランが、時折気遣わしげな視線を少女に向けたが、その様子は、ついぞ変わることはなかった。その青い瞳は透明なまま、ただ茫洋と流れてゆく窓外の景色を見つめている。 だが、帝都の幾万という灯が、ようやく遠目に見えてきた時、少女の頑だった表情が、わずかに揺れた。 「帝都が…みえてきました」 窓辺にそっと手をかける。 思わずもれてしまった言葉であった。かつて、二度と戻ってくることはないだろう、という決意と共に後にした地である。だが再び、夜空に浮かぶ幾多もの光の渦を目にしたとき、はからずも彼女の内を満たしたのは、再び戻ってくることができた、という安堵感であった。たとえ数カ月しか過ごさなかったにせよ、彼女の中で帝都は、最早「異郷」ではなく、幾分近しい存在になりつつあるのかもしれなかった。 デスラーは先ほどからそのような少女の様子をじっと見つめていたが、その眼差しに、先ほどの険しさはすっかり消えていた。 スターシアはその後、メディカルアカデミアに入り、マンハイム教授のもとで、医師としての研鑽を積むこととなった。 デスラーは、当初スターシアが一民間人として市井の中で生きる事については、かなりの難色を示した。が、マンハイムの熱心なすすめと、腹心であるタランの口添えもあって、ようよう、首を縦にふったのである。 一度は逆賊の烙印を捺されたスターシアである。如何にデスラー自身の勘気が解けたとはいえ、そのまま宮廷にもどることは、さすがにはばかられる風があった。 「民間人としての経験を積まれることは、 スターシアさまの将来にとっては有益にこそなれ、決して不都合にはならぬはず。私が責任を持ってお預かりいたします」 マンハイムの言葉にデスラーはしばし沈黙していたが、ややあって、頷いた。 「よいだろう。ほとぼりがさめるまで、スターシアにとってもよい経験になるやもしれぬ」 総統の許しを正式に得た、と知った時、スターシアはようやく安堵の表情を浮かべた。 ガルマンガミラスの医学を学び、その発展にほんのわずかでも貢献できるのであれば、これ以上の喜びはない。学究肌の彼女にとってそれは、ようやく得ることのできた安住の場であった。 パレスを離れてアカデミアに発つ日、スターシアの笑顔は喜びに満ちていた。 「このような機会をあたえてくださいましたこと、心から感謝いたします」 このように素直に微笑むこともあるのだ、とデスラーは独りごちた。 何故もっと早く、彼女のこのような笑顔を見る事ができなかったのか。 今まで、よかれと思って示してきた行為が、じつはスターシア自身の枷になっていたのかもしれない。 「君の成長を楽しみにしているよ」 彼が、その将来を見届けようと引き取った少女は、この春、18歳になろうとしていた。 後にデスラーは、この時のスターシアのことを幾たびも悔恨の念と共に思い起こすこととなる。 それは、彼女の短かった生の中で、尤も生気に満ち、輝いていた瞬間だった。 運命が彼女に与えた安寧、しかしそれは、ほんのわずかな一時にすぎなかったのである。 |
りょうちゃん
2002年04月03日(水) 22時11分34秒 公開 ■この作品の著作権はりょうちゃんさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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ううむ、医学の道に進むとは。しかしなんだか納得です。マンハイムがいい味ですね。それと、レトロな語感大好きです! | 長田亀吉 | ■2002年04月07日(日) 00時32分17秒 |
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