第25章 予兆 |
アカデミアから帰都したスターシアは、その夜、総統と食事を供することになった。 「公式な晩餐ではない故、寛いだ姿でよい、とのお言葉でしたが…」 すっかり、簡素な一学生、という風情のスターシアを前にして、イローゼは大きく息をついた。 「せめてもう少し身なりにお気をつかっていただかなくては。アカデミアにいる間に、すっかり質実剛健の気風に慣らされておしまいになったようですね」 だがスターシアは、静かに微笑んだぎり、何も言わなかった。帝都に戻れば、それなりの流儀というものがある。つい先程までの、エリアズと共にいた時の快活な少女の面影は、もうすっかりなりをひそめてしまっていた。 定刻よりも幾分早く、デスラーが大股で室内に入ってきた。 「御無沙汰しております。総統閣下におかれましては御機嫌麗しく…」 深く一礼するのを、 「ああ、よい」 総統は、スターシアの言葉をさえぎるかのように手を振った。 「堅苦しい儀礼はなしにしよう。もっと近くに来て、よく顔を見せてくれ」 彼にしては珍しく、再会の昂りをおさえかねるかのように、スターシアを指し招く。 背後でタランが、苦笑を禁じ得ないかのような表情で立っていた。 「幾分やつれたのではないか?」 気遣うように、少女の頬に触れる。 「御心配いただくほどのことはありません」 僅かに恥じらうようにスターシアは微笑んだ。 イローゼの心づくしで、髪を梳ってゆるやかに編み込み、蒼いドレスに身を包んだその姿は、彼の記憶にあったよりも幾分大人びて、静かに落ち着いていた。 (久方ぶりに会う故か…) 少女の成長は早い。 イスカンダルの血を受け継いでいる所以か、スターシアのそれは、一般の成長過程とは比較にならぬほどに鮮やかに際立っていた。 固い蕾のようだった一輪の花が、ゆっくりと綻び、今まさに咲き染めんとするばかりのころ、少女から女性へとゆるやかに変貌を遂げてゆく、その目覚ましい瞬間に、今のスターシアはいた。 デスラーにとってそれは、貴重な憩いともいえる一時であった。暖かなまどいというものについぞ縁のなかった彼だったが、少女を前にすると、おのずと心が解れてゆく。ことさら多くの言葉を交わすわけではない。だが、壮絶なほどに多忙な日常に疲弊しきった心身が、彼女と食事を供する内に、わずかだが、しかし確かに癒されてゆくのを感じた。 それは、テラスに場所を移して、食後酒を嗜みながらの和やかな場でのことであった。総統の心から寛いだようなその様子をまのあたりにして、スターシアはずっと思い続けてきたことを切り出す意を決した。 「総統。一つだけ申し上げたいことが。」 「何だね?」 デスラーは鷹揚にうなずいてみせた。 「アカデミアでの在籍は3年とのお約束でしたが…できればその後も残り、教授のもとで研究活動を続けたく思っております。」 一気に言葉を続ける。 「お許し、いただけませんでしょうか?」 デスラーは少女を見つめたぎり、しばらく無言だった。 「マンハイムから君のことはよく聴いている。アカデミアでは優秀な成績を治めているようだね」 その口調があまりにも穏やかでさりげなかったので、さしものスターシアも、彼の本心を見抜くことはできなかった。 「スターシア。君は幾つになったのだったかな?」 総統の突然の言葉に、スターシアは少々と惑いをかくせなかった。 「18ですが、閣下?」 「そうか。君がこの地に来て、もう1年もたったのだな」 デスラーはひとりごちた。彼の意図をよみとりかねたスターシアは、それ以上言葉を続けることができず、おし黙った。 「いつまでも子供のように思っていたのだが…最早そのようなことも言っておられぬ年か」 目を閉じた彼の脳裏には、数日前の御前会議での光景が、ふいに蘇ってきた。 ベムラーゼ首相亡き後、ボラ−連邦の勢いは急速に衰え、入れ代わるように銀河に台頭してきた一つの惑星がある。 200年もの間、永々と培われてきた皇帝家を頭に頂くヴェルデ公国であった。 国民の尊崇を一身に集めるヴェルデ公家は、もとは武門の出ではあったけれども、代々の皇帝が祭司も兼ねるという、祭政一致の家柄であった。己が独自の宗教観を持ち、その脈々と受け継がれてきた伝統は、今まで決して外に漏れることなく秘されてきた。 現皇帝であるヴェルデウス3世は、齢60になろうかという、白髪の偉丈夫である。しかしその炯々たる眼光と機を見るに敏な鋭い外交手腕の腕は、少しの衰えを見せることもなく、むしろここにきて、ガルマンガミラスの新たな脅威として、無気味な陰を落としつつあった。 老獪にして難航不落。 それが、デスラーが老皇帝に対して持った印象である。 (今ヴェルデ公国との戦端を開くのは得策ではない) 対ボラ−連邦との戦で、ガルマンガミラスの国力と戦力は共に疲弊している。 銀河の政治的な均衡を維持するためにも、ヴェルデ公国との同盟条約締結は不可欠であった。 その日の議題は、数日後に差し迫った条約調印式についての最終的な確認と、つい先頃、総統の名代としてヴェルデ公国に赴いたキーリング補佐官の報告が主だった。 「公国側は、今回の同盟締結に際し、より強固な絆を我が帝国と結びたい、との意向を明らかにしてきております」 ヴェルデの官房長官と、この大事に至る一切の事務的な処理を取り仕切ってきたキーリングが、総統と居並ぶ幕僚達を前に言葉を続ける。 「ヴェルデ側はどのような条件を出してきているのだ?」 デスラーに問われた補佐官は、常になく、言い淀むようなそぶりを見せた。日頃冷徹な彼にはめずらしい振舞いだった。が、 「かまわん。言ってみたまえ」 なおも促され、彼はようやく決意したかのように口を開いた。 「甥のサウド提督の婚姻相手として、尤もふさわしい婦女子を、ガルマンガミラスから迎えたい、と。」 皇帝自身には子がいなかった為、甥を嫡子に迎えた、ということはデスラーも聞いている。折を見て時期皇帝の座を譲ると公言しており、明後日に迫った条約調印日にも、皇帝自ら、提督を伴って赴く旨を明らかにしていた。会見の場には、両国の緩衝地帯にあるカリトスという小惑星が選ばれている。 だが、補佐官の思いもよらない言葉に、幕僚達は一瞬、ざわめいた。 「皇帝家に嫁がせる女人を?」 「そのような条件に能う女性が一体どこにいるというのだ」 だが、タランだけは、沈痛な表情でそっと総統を見守っていた。彼は次にくるであろう言葉を、すでに予期していたかに見えた。 水をうったかのように静まり返った広い議事場の中を、キーリングの言葉が淡々と響いた。 「スターシア嬢です。総統。あの方の存在に、皇帝はいたく興味を示しているようです」 「閣下?」 遠慮がちなスターシアの声が、デスラーをふいに現実にひきもどした。 少女の心配気な白い面が眼前にあった。 彼は、一瞬憐憫とも同情ともつかぬ眼差しでスターシアを見遣った。 今、己が立たされている立場を明らかにすれば、彼女は何と言うだろう。 「ああ…すまぬ。アカデミアの話をしていたのだったな」 だが、少女は、ゆっくりと首をふった。 「いいえ…。よろしいのです。とんだわがままを申し上げました」 スターシアの蒼い双眸は、静かに見開かれたままだった。あるいはその時、彼女は何かを感じ取ったのかもしれない。 しかし彼女は、最早それ以上、自分の要求を言いつのろうとはしなかった。 スターシアが立ち去った後も、デスラーはしばらく黙然とテラスに座っていた。 彼女の残り香が、まだ空に残っているような気がする。 先ほどまで、少女が座っていた椅子を見遣る。 (スターシア…) ことさらに秀でて優美なものをを愛するのは、デスラーの常の気質であった。彼にとって、「暗愚」ということは、最早それだけで罪悪に等しいものであり、嫌悪の対象であったのだ。それ故スターシアが、いかに女王の血をひいているといえど、その美貌だけでは、ここまで彼の思いも深まる事はなかったであろう。 しかし、長じてますます女王の面ざしに似てくる彼女を、このまま手許にとどめおくことについては、やはりデスラー自身一抹の懸念があった。今宵とて、少女のふとした仕種や表情が、あまりにもその母親を思い出させる瞬間が幾度もあり、その度に我知らず目を奪われてしまう己を、デスラーは激しく嫌悪した。 彼女を引き取ったのは、一体何のためだったのか? (スターシアを正式に我が養女としよう。なるべく早い方がよい) それが唯一、彼女と自分とを隔てる楔となるだろう。 デスラーにとって、それは確信だった。 己の課すものがスターシアにとって諸刃の剣になるだろう、ということは重々承知した上で。 ヴェルデ公国との条約調印日は、明後日に迫っていた。 PICTURE BY みもざ in水晶宮 |
りょうちゃん
2002年05月21日(火) 23時05分54秒 公開 ■この作品の著作権はりょうちゃんさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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コメントしようにもどうもぴったりな言葉が見つかりません。強いていうならば“耽美”でしょうか。ストーリーとイラスト、どちらも単独で十分に楽しめるクオリティの高さでありながら、二つがあわさることで互いが互いをさらに大きく開花させているように思います。心が別の世界を漂います。 | Alice | ■2002年05月22日(水) 22時47分00秒 |
美麗です。文章もイラストも。コンビネーション抜群です。惚れます。 | 長田亀吉 | ■2002年05月21日(火) 23時19分28秒 |
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