第26章 政略 |
「陛下」 後ろから、しわがれた声がひびき、皇帝へロデ ・ヴェルデウスはふりかえった。 雪のような白髪を総髪にしたきわめて長身の男性である。 鋭い光を放つ灰色の眼差しとととのった鼻梁、黒い長衣をまとっただけのその姿はどこか隠者めいてさえ見え、「哲人皇帝」との異名もさもあらん、と思わせる風貌であった。 「バールか」 こちらは、口鬚をたくわえ、でっぷりと太った壮年の大男である。言わずと知れたヴェルデ公国宰相アルド・バールだった。眼前の主と引きくらべれば、いかにも「俗人」との感は否めない。しかしその不遜な眼差しと面は、いかにも「ヘロデ帝の懐刀」と呼ばるるにふさわしい剛胆なものであった。 「カリトスの地表が見えてまいりました。そろそろ御準備を」 「うむ」 「ガルマンガミラスの旗艦は既に入港しているようです。デスラー総統以下、数名の幕僚方が先程迎賓館に到着した、との報告が」 「そうか」 手にしていた酒のグラスを小卓の上に置き、ゆっくりと立ち上がる。 「で、件の少女は伴われているようか?」 「いいえ。恐らくは本星での祝賀会が正式な披露の場となるのではないか、と。キーリング補佐官を通じて、デスラー総統にこちら側の旗識は既に伝わっております故」 調印式の後、ヴェルデ側の一行はガルマンガミラスの本国に寄港し、帝都での歓迎祝賀会に出席する運びとなっている。ようやく迎えることのできたこの佳き日に、ただ一つの汚点もあってはならぬと、帝都での警備体制は厳重の上に厳重をきわめていた。 「それは楽しみなことだな」 足早に、出口に向かって歩き始めた帝につき従いながら、宰相はくどくどと、先ほどから己の内にわだかまっていた言葉を申し述べはじめた。 「陛下…。不肖バール、陛下が御在位なされて時から現在にいたるまで、一度たりともそのお言葉に疑問をさしはさんだことはございませんでした。しかし、今回ばかりはその御真意がどうにもわかりかねます。まことにイスカンダル王家の遺児とやらを、我が公国に迎え入れる御所存で?」 「無論だ」 帝の言葉はいたって簡潔明瞭であり、常に変わらず、何人たりとも口をさしはさむ隙を与えぬかにみえた。 もとより高潔、剛毅の誉れ高い英君である。その在位は数十年の長きに渡るが、臣民の絶対的な忠誠は未だにゆらぐことがない。 だが、老練な宰相はあくまでもくいさがった。 「ですが、如何に総統の養女といえど、イスカンダルは最早ついえ去った惑星。亡国の姫に一体どれほどの価値があると?」 「あの冷徹で慣らした男が、掌中の珠のように慈しんでいる娘と聞き及んだ。不世出の英雄といえど弱味はある、ということだ」 「弱味?」 「のうバール。あのデスラーという男、そなたはどう見ている?」 「確かに、一介の武人風情でないということは重々承知しておりますが…しかし所詮は乱世が生んだ梟雄の一人に過ぎぬと」 「果たしてそうかな」 帝は低く含み笑いをした。 「これほど短期間の間に見事に人心を掌握し、あれほどの一大帝国を築き上げた男だ。なみなみならぬ知略と統率力の持ち主と言わねばなるまい。がしかし、このままで鉾を収めるとは、到底思えぬでな」 「と申しますと?」 「デスラーはいずれ全宇宙の覇者たらんとするだろう」 「…」 「まだ儂が存命の内はよい。奴が傍若な振舞をせぬ様、目を光らせていようからな。しかし、いずれ我が公国がサウドに代替わりした時には、いささか心許ない」 「しかしサウド閣下は国内での人望も篤く…」 「あれの本領は武辺だ。戦時でこそ、その力を最大限に発揮するが、外交、政略にはいささか疎く、短慮がすぎる。それは貴公もよう知っておろう。」 「は…」 「持ち駒が多いにこしたことはない」 「しかし…己が養女を、あのデスラーがおいそれと手放すものでしょうか」 「するさ。それなりのその条件をこちらが提示すれば、な」 「条件とは?」 「ネメキア航路の渡航権をガルマンガミラスに譲渡する」 宰相の油ぎった顔が驚愕に引き歪んだ。 「し、しかしそれは! ネメキアは我が公国にとっても最重要な通商航路、そのようなことをすれば、むざむざガルマンガミラスに外宇宙へ侵略の手を拡げる機会を与えるようなものではありませんか? 一体に、正気のお言葉とも思えませぬ!」 「うろたえるな、バール。統べてはあの男の出方次第なのだ」 「しかし…」 「まあ見ておれ」 帝は最早それ以上何も言わず、足早に室を後にした。 その同じ頃。 ガルマンガミラスの陣営も、又ただならぬ緊張の只中にいた。 デスラーを中心に、数名の幕僚が随行していたが、その中には無論副官であるタランの姿もあった。 御前会議でのかの一件以来、彼は総統と直接言葉をかわしてはいない。 だがその脳裏には、数時間前のキーリング補佐官との会話が、生々しく蘇ってきていた。 「ではスターシア嬢も、今宵の宴に出席されるというのか」 「はい。養女としての正式な披露も兼ねたい、とのお言葉でした」 「しかしそれでは、こちら側の意向をヴェルデ側にみすみす明らかにするようなものではないか?」 知らず知らずの内に激昂してくるタランと異なり、キーリングはあくまでも沈着冷静だった。 「あるいは。総統の御真意はそこにあるのかもしれません」 「馬鹿な、一体何を考えておられるのだ!」 (スターシア様を政略の具とされるおつもりなのか…) そのようなタランの内心を見すかしたかのように、補佐官は言葉を切った。 「タラン将軍。旧ガミラス出身者ではない私が、このようなことを申し上げるのは口幅たいことながら…」 「何だ」 「あの方の御出自と置かれた立場を思えば、平穏な人生を望むことこそ、不可能ではないかと」 「…!」 「尤もこれは私だけではなく、主だった幕僚方の一致した見解でもあります。スターシア嬢にとっても、このような形で故国の役に立っていただけるのであれば、むしろ本懐では?」 「貴公…!」 その不遜とも思える言葉にタランの怒りは頂点に達した。だが、喉元まで込み上げてきた言葉をかろうじて押しとどめる。 彼女の母親、あの孤高の女王の鮮烈な最後を目の当たりにした者でしか、今のこの心情を理解することは、到底できまい。 タランにとってイスカンダルとは、旧ガミラスと共に失われてしまった至宝であり、それはそのまま、あの少女の存在にも繋がっていたのだから。 「ヴェルデ帝の御一行が到着されました」 その一声が、タランを現実に引き戻した。 「うむ」 それまで背を向けて座っていたデスラーがゆっくりと立ち上がる。 こちらを振り返ったその表情は、常にもましてさえざえと沈着であり、どのような感情の機微も読み取ることはできなかった。 長い一日が始まろうとしていた。 PICTURE BY みもざ in水晶宮 |
りょうちゃん
2002年10月17日(木) 22時20分35秒 公開 ■この作品の著作権はりょうちゃんさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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国と国との駆け引きって、腹の探り合いなんですね。両国の緊張と思惑と謀略が行間から滲み出してきます。モノクロのイラストも深みがあって美しい。 | Alice | ■2002年10月21日(月) 21時40分21秒 |
小説を読む楽しみの原点を久々に味あわせて頂いてます。ありがとう! | 長田亀吉 | ■2002年10月17日(木) 22時36分17秒 |
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