第27章 戦慄 |
今日という日が、帝国と自分にとって一体どのような意味を持つのか。 その朝、身支度を整えながら、スターシアの胸は、はかり知れぬ不安にざわめいていた。 数日前、彼女は幾重のもの煩雑な手続きをふんで、正式にデスラー総統の養女として迎えられた。それまで、総統から、暗にその胸中を仄めかされてはいても、これほど早く現実のものとなるとは思ってもおらず、スターシア自身、戸惑いを隠すことができなかった。 「血の繋がりこそはないが、己が娘として、大切に慈しむ心づもりでいる。どうか了承してほしい」 その時の総統の言葉が信じられなかったではない。 (けれど…) あの日以来、アカデミアに戻る事は許されなかった。帝都にとどめおかれたまま、今日の日を迎えている。 (何かが、起こりつつある) 不自然といっていいほどの性急さで事が運ばれたことを思うと、今までの経過が納得できる。統べてが、今日のこの日のために、周到に準備された、としか思えないのだ。 (最早アカデミアにもどることは、かなわないのでは…) それは、直感だった。 「スターシアさま?」 侍女の訝しげな声で、ふと我に帰る。 「ハンカチーフを…お取り替えいたしましょう」 ずっと握りしめていたレースのそれは、ひっきりなしにねじられ、すでにすっかりしわばんでしまっていた。 「ああ、そうね。ごめんなさい…お願い」 おりしも、スターシアが広間から退出しようとした、その矢先。 「総統がお呼びになっておられます。こちらへ」 果たしてそこには、酒盃を囲んで、ヘロデ帝とサウド提督、そしてデスラーとが対峙していた。近侍はすべて下がらせ、寛いだ雰囲気である。 「ほう…」 侍女を背後に伴って現れたスターシアを前にして、皇帝は眼を細めた。 唇をかたくひきしめた、凛とした眼差しのうら若い乙女が眼前にいた。 深い新緑の色をしたドレスを身につけ、如何にも清楚な出立ちである。 (これは、また…) いささか、線の細い腺病質な感は受けたが、その清らかな佇まい、まずもって万人の認める気品と美貌の持ち主であったことに、ヘロデ帝は内心いたく満足した。 だが、彼女の淡い蒼い瞳に、一瞬、不安にも似た光が走ったのを、帝のするどい眼差しは見のがさなかった。 もとより、民間人として、16の年まで市井の中に生きてきた少女だと聞いている。 ガルマンガミラスに身を寄せてからも、アカデミアに籍を置き、一学生として学究に勤しむ日々を送っている、ということも。その若さであってみれば、いきなりこのような政治の表舞台に連れ出されて、戸惑いや恐れを隠せないのは当然であろう。 デスラーの表情は固く、相変わらず何の感情も読み取れはしなかった。スターシアを見遣り、帝に向かって、 「これなるが、我が養女に迎えたスターシア。どうか今後とも、御懇意に願いたい。スターシア。こちらが先頃我が国と同盟締結が成った、ヴェルデ公国のヘロデ帝とサウド提督であられる。御挨拶を」 年長者であるヘロデ帝をたて、礼節を尽くしたその言葉を受けて、スターシアもまた、深々と一礼した。 「スターシアでございます。御尊顔を拝し、恐悦に存じます」 「貴女のお噂は、我が帝国にも鳴り響いておりましたぞ。なるほど、噂に違わずお美しい。デスラー総統にとっては、御自慢の娘御であられるな」 デスラーは苦笑したぎり、何も言わなかった。が、ややあって、 「提督が少し夜風にあたりたいとのことだ。パレスの庭園を御案内してはどうかな」 その唐突とも思える言葉に、スターシアは一瞬、戸惑うような眼差しをデスラーに向けた。本能的な怯えのようなものが、その蒼い瞳に浮かぶ。 「よろしければ、是非」 野太い声と共に、帝の傍らに控えていた青年が立ち上がった。 年の頃は20代後半、というところか。 浅黒い無表情な顔、着衣の上からでも鍛え上げた筋肉がよくわかるほどの見事な体躯、長い灰色の髪を後ろ手にたばね、一目で武人とわかる出で立ちである。全体に端正な、といえるほどに調った面だちではあったけれど、しかしその猛々しさをはらんだ灰色の眼差しと、薄い唇には、いつもどこか人を嘲るような皮肉まじりの笑みが浮かんでいる。祭祀という神聖な責務を司るにはおよそふさわしくない、何か禍々しいものが、彼の全身には満ち満ちていた。乙女特有の潔癖さでもって、スターシアが彼に何かを感じ取ったとしても無理からぬことであったかもしれぬ。 彼はスターシアに向かって、ゆっくりと手をさしのべた。が、彼女は、その手をとることをわずかにためらっているかに見えた。デスラーの胸に、一瞬針のような痛苦がさす。スターシアの内心の動揺が手に取るように伝わってきた。しかしここで面を崩すわけにはいかなかった。ただ目顔で少女を促す。 全てが、あらかじめ決められていたことなのだと、スターシアはここにきて、ようやく悟った。諦めたように目をふせ、そのままサウド提督の腕にその手を委ねる。そうして並び立ってみれば、いかにも似合いの、端麗な男女の一対である。が、見るものが見れば、この二人ほど魂の色合いが異なる組み合わせはないのでは、と思わせるものがあった。 複雑な胸中で、歩み去ってゆく二人の後ろ姿を見つめていたデスラーとは対照的に、老帝は終始上機嫌だった。 「何とも愛おしげな娘御であられる。お幾つになられた?」 「この春に18の誕生日を迎えたばかりで」 「そうか。貴公も先が楽しみなことだな」 「は...」 デスラーは帝の真意をはかりかねた。 「デスラー総統。折り入っての話だが」 「何か?」 「既に含みおきのことと存ずるが、あの二人をめあわせる、というのはいかがなものかな」 既に予期していた言葉ではあった。 「サウド提督とスターシアを…」 帝は大きくうなづいた。 「もしもこの縁組みが成立すれば、我が公国とガルマンガミラスとは、未来永劫ゆるぎない絆を結ぶことができる。共に手をたずさえ、かつてなかった強大な国家を、この銀河に打ち立てることも可能ではないか」 帝の熱っぽい口調はさらに続いた。 「我が甥ながら、サウドは、なかなかの度量を持った男だ。聞けばスターシア殿は亡きイスカンダル女王の忘れ形見という。血筋から言っても、けっして引けをとらぬ者同士ではないか」 「なるほど。帝の御真意は確かに承りました」 「ご了承いただけるかな」 だが、デスラーは苦笑を禁じえなかった。 「しかしそれはあまりにも性急なお言葉。何分にもスターシアはまだ18になったばかり、今しばらくはご静観いただきたい」 「なるほど。これはぶしつけなことばかり申したようだ。どうか許されよ」 大広間の喧噪が嘘のように、広大な庭園は、森閑と静まり返っていた。 「貴女は、総統御自身のお血筋とは、何の所縁もないと伺ったが…己が養女に迎えられるとは、さぞかし寵も深いのでしょうな」 「いいえ、そのようなことは」 風にのって、今が盛りのアマリアの香が、むせ返るように香る。大輪の淡紅色のこの樹花を、スターシアはあまり好まず、ねっとりとからみつくようなその強い香で、いささかの胸苦しさをおぼえるほどだった。 「貴女には、我がヴェルデ神の巫女装束がよくお似合いだろう。尤もそれは…身も心も清廉な乙女でなくてはゆるされませんが」 丹念に、賞味しつくすようなサウドの眼差しに、あからさまな男の視線を感じ、スターシアの身内に悪寒が走った。ことさらに視線を合わさぬようにして、 「それは、恐れ入ります。でも、たぶんにお買い被りすぎなのでは」 「と、いわれると?」 灰色の剛毅な眼差しと、淡い蒼い瞳とが、一瞬絡み合う。 「わたくしは、ここでは一介の学生にすぎません。公の場に出る事は、ほとんど許されてはおりませんし…。このような大事の日に、わたくしなどが提督閣下のお相手を勤めていてよいものだろうか、と。どのような不調法をしでかすともかぎりません」 サウドは、乾いた笑い声を上げた。 「どうかそのように身構えないでいただきたい。それとも貴女には、私が災いをもたらす鬼神にでも見えますかな?」 スターシアは、狼狽したように目をふせた。 「いいえ。そのようなことは。失礼がありましたら、どうかお許しください」 早くこの場から逃れたい、とスターシアは切に願った。アカデミアのあの広大な学び舎、蔵書に埋め尽くされた、静寂な自分の室に戻りたい、と。 二人の間に沈黙が落ちたその時、衣ずれの音と共に、ふいに背後から、かすかな足音がした。 サウドが鋭い眼差しを向けたその先には、イローゼが立っていた。 声こそ出さなかったものの、スターシアの胸中に、みるみるうちに安堵感が満ちてゆく。 「夜風が冷たくなってまいりました故、お迎えにあがりました。お二人も、室にお戻りくださるように、とのお言葉です」 「これはこれは」 サウドは、皮肉気に唇を歪めた。 「総統閣下はよほどの御心配と見えますな。一時たりとも、スターシア殿をお側から離しておかれたくはないようだ」 それには答えず、すりぬけようとしたスターシアの耳もとで、サウドは囁いた。 「貴女とはいずれ又御会いすることになるでしょう。さほど遠からぬ内に」 その言葉に、スターシアの身内はかたくこおりついた。 PICTURE BY みもざ in水晶宮 |
りょうちゃん
2003年04月12日(土) 11時59分11秒 公開 ■この作品の著作権はりょうちゃんさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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引き込まれる小説ですね。一気に読んでしまいました。丁寧に書き込まれていて素晴らしいと思います。お忙しいこととは存じますが、できれば続きが読みたいな〜…などと身勝手なことを思ってみたり…。ご無理は決してなさらないで頂きたいのですが、ほんの少し期待させて下さい☆(矛盾してますが) | ゆきぼん | ■2004年09月02日(木) 03時15分29秒 |
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