第二話 『 隠蔽 』 |
生活班一等技官、伊庭 吾郎(いば ごろう)。 彼が自分の秘め事を暴かれた、という事実を知ったのは自室で秘密裏に採集したM26第二惑星土壌中の棲息微生物群について、研究データの分析している真っ最中だった。 伊庭は用心深い男だった。 彼は真田に迫られてしぶしぶながらデータを渡す際、一種の保険を掛けておいた。 真田に渡した情報データには暗号化された転送システムが付いていたのだ。 人目にはただの微生物を写した顕微鏡写真だが、そこには映像が画面に呼び出された瞬間、操作されている情報端末機備え付けのマイクから音声が、デジタルカメラからは映像が、自分の情報端末機へ転送するよう作動する隠しソフトウェアを紛れ込ませておいたのだ。 やはり、あそこから漏れたか・・・。 そう思った瞬間、 伊庭は無力感に打ちのめされながら激しい後悔にその身をよじった。 秘密のデータをやむを得ない事情からとは言え、信用の置けない他人に渡してしまった自分はなんと愚かだったのだろう。 だが後悔しても、もう遅い。 すべてが終わった。 やがてあの分からず屋の生活班長がやって来て自分を非難し、あの黄金よりも貴重な微生物たちを無慈悲な暗黒の宇宙空間へと放り出してしまうだろう。 その光景を想像すると、彼の体は激しい怒りでカァッと燃え上がった。 その怒りの矛先はこの素晴らしい研究素材を、未来の地球の救世主が見つかるかも知れない宝の山をむざむざと見逃そうとする森雪に向けられていた。 そうだ、彼女には何も分かっていないのだ。 この微生物、自分が【ミダス】と名づけたこの小さな巨人たちに何が出来るのかを。 その驚異的な力を利用することによって、地球が抱えるすべての問題を解決できるのだ。 いや、それどころではない。 人類はイスカンダル人ですら持つことが出来なかったテクノロジーを手に入れることになるのだ。 それは・・・まさしく神に限りなく近い力だ。 だが、あの愚かな女はそんなことには見向きもせず、自分の指示に従わなかったという、ただそれだけのケチな理由でこれまでの努力の結晶である、実験データや研究資料さえ葬ってしまうかもしれない・・・。 猛烈な怒りの感情が彼の全身を駆け巡った。 そんなことはさせない! 彼女になんの権利があると言うのだ! 一人の愚者に人類の輝かしい未来を切り開くきっかけを潰されてたまるものか! 彼は自らを奮い立たせた。 まだ遅くは無い。 まだ間に合う。 隔離区画の【ミダス】たちを処分し、研究資料を隠さねばならない。 隠蔽するのだ。 そして時期を待つのだ。 手元に残った物だけでも研究は続行できる。 真実の解明まではもう一歩だ。 そして秘密をすべて明らかにした後、あの高慢で愚かな女の鼻先にそれを叩きつけてやるのだ! かのガリレオ・ガリレイを見よ! 真実はたとえ今、敗れようともやがては勝利するのだ。 そしてその真実が、生命の危機にあえぐ地球の人々に福音としてもたらされた時。 自分の名は地球人類の救世主として、永遠に語り継がれてゆく事になるだろう。 『これよりは隔離区画となります。 進入許可コードを提示してください。』 隔離区画の一歩手前、 不意の音声が伊庭の足を止めさせた。 ギョッとした彼は頭を回して辺りを眺める。・・・誰もいない。 彼が驚いたのも無理はない。 艦内スピーカーから流れた声は生活班長の森雪の声だったのだ。 やがて彼は思い出した。 そして思わず舌打ちをした。 そうだ、先日のことだ。 乗組員からの提案で今までのコンピューターの音声は無味乾燥だということから、 これからは森雪の声で発声できるよう、設定変更がされたのだった。 クソッ! ここでもあのバカ女が邪魔をするのか! 伊庭は拳銃でスピーカーをぶち抜いてコンピューターの警告を無視してやりたい気分だった。 だがこの手続きを無視するわけにはいかない。 そんなことをすれば艦内巡察員や警備アンドロイド達に、たちまち取り押さえられてしまう。 落ち着くんだ。 馬鹿な事は考えるな。 そう唱えると彼は手に持ったIDカードを通路の壁に埋め込まれた警備装置の赤い目玉の様な視覚センサーにかざして見せた。 『0016TDBC(ゼロ・ゼロ・ワン・シックス・タンゴ・デルタ・ブラボー・チャーリー)許可コード、チェック終了。 本日のパスワードをどうぞ。』 パスワードは一日毎に変更される事になっていた。 彼は今日登録したばかりの自分のパスワードを口にした。 「我、天を相手とし、人を相手とせず。」 彼がパスワードを登録する際の、同僚達が自分に向けた冷ややかな視線。 キザ野郎が、と聞こえよがしにつぶやく声が耳にこびりついて離れようとしない。 それらが彼の記憶の中で鮮明に甦った。 今に見ろ!無能なバカども! お前らも彼女と同様、俺の前にひれ伏させてやる。 そしてそれにはあいつらが・・・あの微生物【ミダス】達が絶対に必要なのだ。 伊庭はコンピューターの、森雪を模したその音声を聞きながら、どうしようもなく湧き上がってくる怒りの感情にその身を焼いていた。 『パスワード、チェック終了。進入を許可します。』 スピーカーから流れる声に、彼は皮肉のつもりなのだろう。 小さな声でありがとよ、とつぶやいた。 やがて伊庭の目には見えないが、隔離区画の警備システムが次々と解除されていく。 怒りの炎に燃える男の目の前で、その禁断の扉はゆっくりと開いていった。 だが、その時。 そんな彼を背後から監視している男が居ることに伊庭はまったく気が付いていなかった。 その男は伊庭の背後、死角になった非常用器具収納ボックスの陰に潜んでいた。 そして伊庭が隔離区画から出てくるのを待っていた。 ・・・五分・・十分。なかなか出てこない。 男の口があくびに大きく開くと、 やってらんないゼ、そう小さくつぶやいた。 オレってどうしてこう、くじ運が悪いんだろう・・・。 心の中でボヤキながら、収納ボックスからはみ出さないように、 ブラックタイガー隊(以降、BT隊、と表記。)のエースパイロット、 山本明は小さく背伸びをするのだった。 |
ぺきんぱ
2002年10月14日(月) 22時27分32秒 公開 ■この作品の著作権はぺきんぱさんにあります。無断転載は禁止です。 |
|
この作品の感想をお寄せください。 | ||
---|---|---|
う〜ん、天才科学者真田志郎のライバルになりえるんでしょうかね、伊庭さんは。マッドサイエンティスト…の雰囲気が強そうですが。SFにサスペンスの要素も加わり、ますます目が離せません。でも、山本が出てきたのは、嬉しい! | Alice | ■2002年10月17日(木) 00時15分39秒 |
[ 感想記事削除 ] |