第五話『闇の双子(前編)』HEART OF THE DARKNESS




「・・・ユキさん!?」


山本が森雪の方向へ足を踏み出そうとした時、後ろから何かが自分の首に絡みついた。

すぐに振り払おうとするのだが、ガラス容器を持ち、両腕がふさがっているためどうすることも出来ない。


あの野郎、何を考えていやがる?


「おまえ、いい加減にしろ・・・」

だが、山本の声は彼の耳元で炸裂した拳銃の発射音にかき消された。

頬に燃焼ガスが吹きかかり、銃口から吐き出された火薬カスが頬に食い込み表皮を焼く。

だが彼にそれを熱いと感じるだけの余裕はない。

そして恐らく耳元で拳銃を発射された所為だろう。 山本の耳からは聴覚が奪われてしまっていた。


彼の目の前で、まるで見えない手で突き伏せられる かの様に、森雪の体が沈み込んでいく。

音声を伴わないその映像はまるで現実感というものを欠いていた。


ああ、なんだこれは? 俺は・・俺は悪い夢をみているのか?


山本の腕からガラス容器が滑り落ち、艦内通路の床で音もなく砕け散る。

途端に首を絞めていた伊庭の腕がゆるむ。

今だ。
だがそう考えるよりも速く、山本の肘が伊庭の鳩尾(みぞおち)に打ち込まれていた。

ウッ、といううめき声がすると、首に絡みついた腕が解けてゆく。

伊庭の右腕を山本が掴む。
次の瞬間、拳銃は伊庭からもぎ取られ、山本の手の中へと移る。


そして彼の足は無意識のうちに床を蹴り、倒れた森雪の方へと駆け寄っていった。





「ユキさん! 大丈夫ですか?」

山本は森雪のそばに膝をつくと大声で呼びかけた。


床に着いた膝が何かで滑る。 血だ。

彼女の体から流れ出した血液が血溜まりを作り、天井の照明を照り返し、ぎらつきながら光っている。


畜生。 彼女は重傷だ。


「ユキさん、聞こえますか? 返事をして下さい!」

山本がもう一度呼びかける。
 
その声に反応して森雪の目が開くと頭が山本の方へ向いた。


よかった。生きている。彼女は生きている!


森雪の口が動いた。だが、その声は聞こえない。


クソッ! 俺の耳がまだ治ってないんだ!


山本は銃を発射されたのとは反対側の耳、左耳を彼女の口に近づけた。


「・・・耳から血が出ているわよ。」


思いがけない言葉に、山本はつい自分の右耳に手を当てた。
見ると確かに血が付いていた。 あの銃声のせいだ。 
恐らく鼓膜が破れて出血したのだろう。


その時、山本の背後で悲鳴が上がった。


「なんてことだ・・・。 なんて事をしてくれたんだッ!」


山本が振り向くと、伊庭は口から泡を吹きながら、狂ったようにわめいていた。


「畜生ッ! もうお終いだ。 おれは死ぬ! お前らも死ぬ! みんな死ぬんだッ!」


伊庭が指さした先には、割れたガラス容器があった。

何を言ってやがる・・・。こいつ本当におかしくなりやがった・・。


山本は視線を森雪に戻した。 彼女の顔が苦痛で歪んでいた。


サイコ野郎の戯言(たわごと)なんか放っておけ! 割れちまったガラス容器のことなど知ったことか! 

とにかく血を止めて助けを呼ばなければ彼女の命が・・。


「・・・山本君。」
「なんですか? ユキさん。」

突然の呼びかけに山本は慌てて答えた。


「山本君、お願い・・肩を貸して。」


なにを馬鹿な!


「冗談じゃない! 応急処置だってまだなんだ。 それがすんだら先生を呼んできます!
下手に動いてこれ以上出血したら大事だ!」


森雪は頭を横に振った。


「その前にやらなくちゃならない事があるの・・・お願いだから私に力を貸して。」

「しかし、このままでは危険だ! 動いちゃだめだ!」

「危険なのは私じゃないのよッ!」


彼女の激しい言葉に山本の体が震えた。


「みんなを助けないと・・・あの男の言った事、でたらめじゃないの。」

森雪はごめんなさい、と顔を伏せた。


「無関係なあなたを巻き込んで・・・本当にごめんなさい。でも、あなたしか頼る人がいないの。 だから、お願い。」



あなたって人は・・・こんな時でも、他人の心配をするのですか?

なぜです?  あなたは死ぬのが怖くないのか?  自分の事はどうでもいいのか ?



山本は森雪にそう問いたかった。 だが、口から言葉が出てこない。

彼女の手が山本の腕を掴んでいた。  その手を通して森雪の固い決意が伝わってきた。


「分かりました。でも、まずは止血をしてからです。」


山本は握っていた拳銃を放り出し腰のベルトを抜き、止血帯を作る。

これでよし、後は・・・。


「山本君ッ!」

森雪の叫び声と同時に、後頭部に何か固い物が押しつけられた。
おそらくは自分が捨てた拳銃の銃口なのだろう。

ゆっくりと後ろを振り向く。

死の恐怖に濁った目と銃口が、山本を冷たく見下ろしていた。







「お前のせいだ・・・お前があれを割ったから・・。」


見たくなかった。 
奴の顔を見るだけで吐き気がした・・・。


「俺の責任じゃないぞ! みんなお前とその馬鹿女のせいだ!」
伊庭が割れたガラス容器を指さし、顔中を口にして喚いていた。


耳をふさぎたかった。
 
こんな下種(げす)の、人質の陰から女を撃つような最低野郎のうす汚い言い訳を聞くだけで、心まで汚される様な気がした。


「・・・けが人がいるんだぜ。 少しは静かにしろよ。」

ふざけるなッ! 伊庭の声と共に、山本の口元へ拳銃のグリップが飛んだ。


鈍い衝撃が激しい痛み伴って脳天に突き刺さる。
口の中に金気くさい、血の味が広がっていった。


「どうせみんな死ぬんだ。 だがその前に・・。」
伊庭が拳銃を構え直した。

「お前とその女は、俺が殺してやる。当然の報いだ。」



当然の報いだと・・・笑わせやがる。


山本の心の奥底で、 闇の中で何かがうごめく。

 落ち着け・・落ち着くんだ。
大きく息を吸い、そして吐き出す。


そして山本は森雪の方へ向き直り、静かにささやいた。


「片をつけます、ユキさん。3分だけ時間を下さい。」


そうとも。 当然の報いを受けさせてやる・・・。



「お別れの挨拶は終わったか? 最後のお祈りはすんだかな?」

クックと歯をむき出して伊庭が笑った。
残忍な笑い。 いびつな喜びに歪んだ笑い。
その笑いを見た瞬間、山本の心の中で何かが弾けた。



「・・・ああ、済んだ。」

 山本は、伊庭の方へと向き直った。 そして言葉を叩きつける。

「あんたの為に祈ってやったぜ、ゴキブリ野郎。」



伊庭の表情が変わる。 顔面の筋肉が引きつる。 引き金に掛かった指が絞り込まれる。


だがその一瞬前、山本の左腕が伊庭の視界から消えた。
膝を突いたまま、だらりと垂れていた山本の左腕だけが、独立した生き物の様に動いた。



拳銃の撃鉄が下りる。 銃声が響く。 銃口から鉛の固まりが吐き出される。


次の瞬間、山本は頭を吹き飛ばされ、その体は死体に変わっていた・・・筈だった。

だが銃弾は艦内通路の壁に当たり火花を散らす。
そして跳ね返った弾が、伊庭の耳元をかすめていった。

信じられない、といった表情に伊庭の顔が歪む。



微かに煙が流れる銃口は、山本の頭上へとそれていた。



凄まじい反射神経とプロボクサー顔負けのハンドスピード。

引き金が引かれる一瞬先、山本は伊庭の拳銃を持った手首を掴むと銃口を自分の頭上へとそらして見せたのだ。


だが、それだけではない。


山本は掴むと同時に左手で伊庭の右手首関節を極めていた。

そのままゆっくりと立ち上がり、徐々に手首を絞り上げていく。

伊庭の右手首に激痛が走る。だが彼は必死になってその苦痛を耐える。

が、やがて耐えきれず、手の内から拳銃がこぼれ落ちた。


山本がその左手がグイとひねる。


枯れ枝が折れるような音がすると、伊庭の口から絶叫がほとばしった。


「あんたには確か、バクチの貸しがあったよな・・・。」


手首が折れた苦痛に泣き叫ぶ伊庭の顔を山本は冷ややかに見下ろした。


「今、この場で返してもらう。」


その言葉が終わるか終わらないかの内、彼の右拳が伊庭の顔面に叩き込まれていた。




ぺきんぱ
2002年11月20日(水) 00時40分45秒 公開
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引き続き後編へとお進み下さい。

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山本、かっこいいっ!!格闘シーンの描写が素晴らしいですね!! 長田亀吉 ■2002年11月27日(水) 07時20分03秒
ひえ〜っ!!!山本君の美しいお顔に傷をつけるなんて!!!辛くて想像するできましぇん。それにしても、なんてハードボイルドな…、やっぱりだたの優男じゃなかったんだ。うん、うん。 Alice ■2002年11月20日(水) 23時48分47秒
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