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 「ヤマトファンクラブ」・・・「さらば宇宙戦艦ヤマト」が公開されて、一層、数が増えた。アニメージュには毎月のように新しいファンクラブが多数、同人誌を発表していく。わしと悪友は当時、中学2年だったが、同じ年くらいの連中(といっても高校生が多かったが)が、次々にファンクラブを創設していくのを誌上でみつつ、いつしか、わしらもつくろう、と思いつくのだった。時に、西暦1978年。秋だった。アニメ同人誌の草創期といっていい時代である。

 ファンクラブをつくった動機は、ヤマトが好き、という思いも当然あるのだが、それ以上に、「組織ごっこ」をしてみたい、という好奇心が原因だったと今は思える。会誌を発行するのが、直接的な目的だ。そのために人を集め、金を集め、組織をつくる・・・。わしと悪友は、その過程に燃えた!

 悪友・・・と、いわれても分からない人もいると思う。彼は、わしの同級生で、クラスも三年間ずっと一緒だった。いわば、腐れ縁の友人といって良い。友人といってもベタベタしたものではなく、共に悪事を働くときには利害一致で共同するもののそうでないときはお互いの足を引っ張ったりもする「ゆかいな」関係である。この「ゆかいな」関係は今でも続いており、1999年8月にわしが悪友の結婚式に招待されたときも「お先に失礼」と勝ち誇った顔で言われたりした。実際、あいつは、そのひとことが言いたいだけで、わしを沖縄くんだりまで呼びつけたのではないか、と思う今日この頃である。

 まず、組織づくり。

 悪友は自ら会長に納まった。二人しかいないから、じゃんけんで決めた。そして、副会長は自動的にわしである。そして、会誌を作る以上、編集長が要るということで、わしが編集長に納まった。

 ただ、二人だけでは、寂しい。会誌を発行するために、金を取らねばならない。そこで、そこらへんで「ヤマト」「ヤマト」といっている連中に次々と声をかけ、会員にした。特に、悪友は、クラス全員に声をかけ、なんとなく、入らねばいじめられるような雰囲気づくりをせっせとするのだった。そのせいもあって、12、3人が、会員となった(ただ、彼らの多くは、「機動戦士ガンダム」の出現により、あっさりヤマトを捨てるのであるが)。

 また、中学2年という年齢の男性は、3分に1回は勃○しているような人種である(よいこのみんなはマネしちゃだめだよ(^^))。わしと悪友も、当然、可愛い子に声をかけたいと思った。悪友の家で、クラス名簿をみながら、議論をする。お互いの腹を探りながら、誰を入れる、誰をいれない、で勝手な議論を展開するのだった。そして、深夜に入会女子のリストを完成する。悪友は、「ただ、声をかけるだけでは、来ない、大々的なマスコミ戦略で、『すごいわ』というイメージを作ってから、声をかけよう」、という。マスコミっつうても、学校新聞だが。ところが、この新聞部長がなかなか、固いやつで、「学校新聞は、ヤマトの宣伝をするためにあるんやない!」という。熱血漢である。悪友は、自分が所有する無尽蔵なエロ本で新聞部長を買収しようとしたが、彼は動かない。ただ、その一方で、新聞部長が、学業成績低迷中という情報を入手し、わしを差し向けた。わしは、部長を宿題を1ヶ月肩代わりするということと引き換えに買収し、学校新聞の1面にデカデカと「宇宙戦艦ヤマト研究会発足!テーマのを研究します」と載せてもらったのだった。「愛を研究する」…N氏がやたら「」「」というので、それを真に受けた愚かなわしも「」を連呼していたのであった。ああ、青春の恥じ。クラスの女子はしばらく、わしのことを気持ちわるがった。そして・・・リストに挙げた女子はひとりも入らず、学年で一番ブスといわれる女の子(こっちも人のことはいえないのだが)が入ってきた。

 彼女のことを・・・わしと悪友は陰で「ブターシャ」と呼んでいた。

 「どうする」とわしは悪友にいった。悪友は、じっと瞑想にふけるように目を閉じた。そして、再び、目を開けて「ブスでも会費さえ払ってくれたらええやん」といった。わしは、何か、嫌な予感がしていた(つづく)

 

 次回、いよいよ、発足した、ヤマト研究会!会費は本当に集まるのか!そして、ブターシャに詰め寄られる編集長亀吉の運命は!!「無限に広がるファンクラブ2」にご期待ください!! 

BGM:CROSSING:(C)98 Blue Noise Music


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