主な登場人物悪友とわし。クラスで一番のスケベ「歩く生殖器」とあだなされる利根君。彼はキャラクターの割に字が達筆なので、清書及び題字担当。特技は無いが、大金持ちのおぼっちゃん高橋。会計を担当。さらに、ブラスバンド部の山田君少し大人の広岡君、 ブターシャが・・・いた。

 わしは・・・意を決していった。「つづきはない!!」

 水を打ったように教室は静かになった。だが、それは一瞬のことだった。次の瞬間、「えーーーーーー!!」  と、抗議と非難の声が。わしは、さんざん風呂敷を広げたが収拾の仕方がわからなくなり、完結に漕ぎ着けなかったのである。

 だが、結局、採用されたのは、わしの話だった。それは、投票の結果だ。続きは皆で考えよう、ということになったのだ。絵を描ける人材がいないため、作品の形式は小説形式となった。ブタ―シャは、少女漫画タッチのイラストを描けるので、挿絵を担当することになった。メカ設定は、山田君と広岡君が担当した。悪友は、「監修」というポジションについた。N氏のつもりだろう。こうした分業制も、ヤマトの製作を真似たつもりであった。

 集団の作業というのは、実にストレスが溜まる。それは実感だ。わしの原案が了承されはしたが、いろいろと注文もついたのだ。まず、ブタ―シャの「ストーリーにがないわ」という意見。確かに、登場人物が多い割に、男ばかりで、恋愛が描かれていない。「歩く生殖器」利根君のリクエストもあった。「セックス」を描きたい、といわれた(当時「エッチ」という軽い表現は無かった。その表現は、明石家さんま師匠の時代を待たねばならなかった)。そこで、女性キャラクター「マーシャ」を設定した。NHKラジオ講座続基礎英語のお姉さんだ。マーシャ黒川、とした。彼女は、中年の魅力溢れる島と若い同輩である未来アユム(古代の役回り)との間で揺れる役回りである。そうだ。中学生に思いつく設定ではない。これは、またまた、「男たちの旅路」の桃井かおりの役そのまんまであった。そして、挿絵についてだが、ブタ―シャの描く島は、これも仕方ないと今は思えるのだが、全然、歳をとっていないのだ。悪友は当然のようにそれをツッコミ、作業の場(放課後の打ち合わせ)が、重たい空気に包まれたこともあった。

 今、正直に思えるのは、結局、世の中のことをわかったふりをして描いてただけで、企業がなぜ、利益を求めるか、とか、男と女の感情の絡み方、とか、親子や兄弟の感情のきしみとか、想像すら出来なかったのである。TVドラマにある世界の模倣、だ。模倣には魂が無い。だから、充実しているようで、空虚な世界を、いや、世界と言えるものを、構築してさえいない。例えば、大人がみたら、気持ち悪いと思うような作品だったのではないか。真似だけはしているが、心に響いてこない。フィクションとは所詮つくりものだが、心のこもった作品は「世界」を構築する。それが、なかった。だが、このときの無力感のようなものが、価値観との出会いをうれしいと思う生き方を形成していったような気はする。

 メカ設定を担当した二人も、自分なりに一生懸命描いた作品がボロンチョンにけなされ、辛くなっていった。特に山田君は描くメカ自体が、オリジナリティに乏しく、皆から「総スカン」を食らったのであった。

 研究会結成から、約二ヶ月が経過していた。時に西暦1978年11月下旬。各自の気持ちがバラバラになっていた。悪友は、「これは落書きや」と山田君のメカを酷評したとき、集団としての寿命がきたかな、と思えた。山田君が「もう、やめてやる!!」と叫び、自分の描いたイラストをビリビリと破いて悪友に向けて投げ捨てたのである!!わしは、放課後の教室で、その光景をみて、「これは・・・」と狼狽した(つづく)。

 

 どうも、笑えない展開でわりぃ。でも、もすこし。あと少しだ。 

BGM:CROSSING:(C)98 Blue Noise Music


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