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 前回、語り忘れたことがある。それは、わしと悪友が創設したFC(ファンクラブ)の名前である。わしも、悪友もファンクラブ、は軟派だからやめようということで、意見が一致した。だから、「研究会」である。でも、「宇宙戦艦ヤマト研究会」自体は、名称的にもちまたにゴロゴロしていたから、意味もわからず、「Arrivederci YAMATO」と命名した。理由は、「英語の方がかっこいい」からである。「A・・・」が英語ではなく、イタリア語とわかったのは後日のことであった。そして、意味が「さいなら」ということも。読み方は、未だにわからない!!その当時は、「アリヴェデルチ」と呼称していた。途中で「アライべデルチ」に変えた。春になってガンダムが放映されて、迫害を受けるようになってからは(このあたりは世界史の宗教戦争を地で行くようだったが)「宇宙戦艦ヤマト研究会 荒井注」と蔑称される始末だった。ま、それは、ともかく・・・。

 次は会費の決定だ。当時のFCの主な活動とはすなわち同人誌製作である。その内容は現在のそれと大きく異なる(現在のあまり知らないのだが)。で、内容はともかく、装丁はというと、大体、コピーで30ページくらいの紙を袋とじにして、ホッチキスで止めたもの、である。オフセット印刷に出して、紙の表裏に印刷したものを製作するところも、もちろんあったが、それはごく一部の会員が多く「ペイ」するところのみであって、わしと悪友のところみたいにガキが10人そこそこという集まりでは、それは叶わなかった。そうだな。50人くらいの読者でやっとこさペイする。それが当時の相場だったと思う。

 で、コピーで30ページの本をつくろうとすると、一冊あたり15枚の紙が必要になる。当時、コピーは1枚30円から50円、下手すれば、100円という時代であった。たまたま、駅前の「羽鳥書店(はねとりしょてん)」という文房具屋がコピーサービスをしていて、1枚40円とっていた(ここでいう1枚とはB4サイズだ)。15×40=600円なり。会誌一冊の値段がこれだ。アニメージュとほぼ同額である。かわいらしい中学生としては、素直に毎月600円にしましょう、というところなのだが、悪友は違っていた。毎月、余分に金をとって、会員が50人に満たない段階で、オフセットを実現し、その威光をもって、さらなる勢力拡充を目指すべし!というのである。わしは、というと、当時は月々3000円の小遣いで細々と暮らしている身だった。が、賛成した。客観的にみて、おそらくわしらのつくる会誌は「アニメージュ」よりもつまらんだろう。稚拙だろう。だが、それこそが、自分というものを世に問う、新たな世界への旅立ちの道具に思えたからだ。会費は800円に決定した。その段階で、16人居た会員のうち半数が去っていった。

 その時点で残っていた主な勇士を列記しておこう(もちろん名前は架空である)。

 悪友とわし。そして、クラスで一番のスケベ「歩く生殖器」とあだなされる利根君。彼はキャラクターの割に字が達筆なので、清書及び題字担当。特技は無いが、大金持ちのおぼっちゃん高橋。彼には、会計を担当させた。赤字も彼をおだてればすぐに解消できるという読みがあった。そして、どうでもいいやつが数名いて、ブターシャが・・・いた。彼女は、会誌の編集会議のときに「わたしはポエム担当!!」と「愛」を連呼したわしより恥ずかしいことを叫ぶのだった(つづく)。

 だいぶ、予告と違う内容で恐縮であるが、今日はこれまで。次回、いよいよ、会誌づくりに取り組む亀吉ら一同!統制のとれないメンバーたちは果たして、会誌を発行できるのか!!そして、今度こそ、亀吉編集長にブタ―シャが迫る!!アニメFCの歴史がまた、1ページ・・・。「無限に広がるファンクラブ3」にご期待ください!!(今日はギャグが少なくてごめんね)

BGM:CROSSING:(C)98 Blue Noise Music


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