主な登場人物悪友とわし。クラスで一番のスケベ「歩く生殖器」とあだなされる利根君。彼はキャラクターの割に字が達筆なので、清書及び題字担当。特技は無いが、大金持ちのおぼっちゃん高橋。会計を担当。さらに、ブラスバンド部の山田君少し大人の広岡君、 ブターシャが・・・いた。

わしは、自分で朗読した。タイトルは

宇宙戦艦ヤマト―星に祈るスターシャ―

である。「さらば」のラストから20年後の物語。復興の途上で侵略者となった地球防衛軍の艦隊を島が指揮する「ヤマト二世」が追う。まあ、そんなところである。自分で言うのもなんだが、わりとまともな話だと思う。で、前回、驚くな、といったこのタイトルだが、実は翌年「新たなる旅立ち」として放映されるヤマトパートVの原題だったのである。豪華本に明記されているから、知っている人もいるだろう。ただ、わしが、「驚くな」といった本当の意味は、「驚くに値しない」ということである。なぜか。その理由を説明しよう。

 ヤマトの第三作を自力でつくろうとしたのは、別にうちのFCに限らず、全国のヤマトFCの多くがやっていたことである。そして、その中でも特に示し合わせたわけでもないのに、似たような作品が輩出した。そう。パート1の女神的存在のスターシャにスポットを当て、彼女が自己犠牲をもって地球や宇宙を救う物語。そして、それらの物語はタイトルまで共通していた・・・「宇宙戦艦ヤマト―星に祈るスターシャ―」。枝葉の部分こそ違えど、誰でもが思いつく話だったのである。だから、「驚くな」といったのだ。ちなみにタイトルが共通するのは、ヤマト第一作のイメージソングとしてつくられたシングル「星に祈るスターシャ(ささきいさお)」の影響であろう。もっとも、自分の発想が、「ひとなみ」のもので、自慢にもならないということを知ったのは、後の話であり、この1978年時点のわしは、自分の構想に酔ってもいた愚かな少年だった。

 当時のスタッフが、ファンジンをみて、真似たかというとそれはわからない。ちなみに「新たなる」をわしは、悪友んちで一緒にみていたが、ラストの赤ん坊の名前がサーシャであることは、わしも、悪友も予想できた。余談になるが、ここで、「新たなる旅立ち」についての感想を述べておこう。

 音楽はいい。島倉千代子の歌も含めていい。島倉千代子の起用はいろいろいう人もいるが、サーシャという新しい命にこめられたドラマを説教めいた説明なしに伝えるためには良い方法だったと思う。わしは、「新たなる」のサントラ盤が好きで、特に、序曲とコスモタイガーがお気に入りである。そして、猫P婦人のHPでも書き込んだが、徳川太助というぬくもりのあるキャラ。あれは収穫だった。ドラマ的には、英雄の丘の回想シーンで少し震える島などの芝居もよかった。発進、訓練、のあたりまではフムフムと納得しながらみていた。それと、冒頭のデスラーの「周辺の星々をことごとくうち従え、ガミラスを宇宙の覇者とするのだあっ」もよろしい。「あ、元気になったんだ、このひと」と病院でリハビリを済ませた患者をみつめるがごとく愛情をもってみられる(?)。

 ただ、ドラマ自体が良し悪しは知らんが、わしにはちっとも面白くなかった。まず、やたら、なよなよした昼メロ風のスターシャなど見たくなかった。これは34のおっさんゆえの表現をするが、スターシャは、古代守とイスカンダルで暮らす事になった時点で、キャラとしてはもう終わりで、使うべき魅力は残っていないのだ。マゼラニックストリームで遭難したヤマトに宇宙の彼方から指示をしたりする神がかりな人ではなく、恋もすれば、妹が死んで涙も流す普通の人になってしまったからだ。そして、敵にも魅力が無かった。そのとき、すでに「ガンダム」が始まっていて、人間のリアルなドラマが更なる進化を遂げているのをみているだけに、それに逆行するような爬虫類のような暗黒星団帝国のキャラクター設定は、大きく期待外れだった。全然かっこよくない芋虫型戦闘機。茶碗蒸のような自動惑星ゴルバ。メカニックの設定も例えば、「さらば」で「アンドロメダ」や「ゴーランド艦」をみて「おお」と思ったあの衝撃は無い。

 そして、これは、わしに限らず多くの人が指摘しているので、「いまさら」なことなのだが、ヤマトの出撃自体が納得できない。宇宙の果てに勝手にすんでる人たちからSOSが届いたとして、それを救うために、宇宙戦争のきっかけとなる異星人との接触をあんなに気楽に指示できるものだろうか。そして、新乗組員たちの命は、そんなに軽いものなんだろうか。古代は救出にむしろ反対すべきだと思うし、司令長官も何をいうてんねん、とわしは思った。よくいわれる内政干渉、との批判もまさにその通りで、そういう部分がきっちりしていないため、ドラマとしてはやや低年齢向けにできている。ただ、これはスタッフの意図でもあったらしく、必ずしも失敗ではないかもしれない。作品のハードルを低くした結果、「新たなる」や「永遠に」からのファン層を新たにヤマトは獲得しているのである。現在、20代のファンの多くが、この「新たなる」「永遠に」から入ってきている事実をみるにつけ、自分の好みとは違うところで(ファンとしての先入観を排したところで)、これらの作品への再評価をせねばならないだろう。要するに、一般的には良い作品だったかもしれないのだ。

 話を1978年に戻そう。 

 わしは、じっと顔を挙げた。今度は誰も寝ていなかった。皆がわしを注目していた。「すごいやん、長田君!!」と高橋君。「作品に愛はでてくるの?」とブタ―シャ。広岡君は「政治的背景を説明してくれ」という。各自がそれぞれ、期待の目でわしをみた。そして、それを収拾するように悪友がいった。「つづけてくれ、長田」。わしは、あらためて、一瞬下を向き、ノートをみつめた。悪友は「てれんでもええぞ、長田」といった。わしは・・・意を決していった。

「つづきはない!!」

 水を打ったように教室は静かになった。だが、それは一瞬のことだった。次の瞬間、

「えーーーーーー!!」

 と、抗議と非難の声が。わしは、さんざん風呂敷を広げたが収拾の仕方がわからなくなり、完結に漕ぎ着けなかったのである。(つづく)

BGM:CROSSING:(C)98 Blue Noise Music


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