入る前に比べると外は随分薄暗くなっている。
通りには街燈が点燈し、軒を連ねる店々のウインドーの照明で、かえって明るく彩られている。せかせかと家路を急ぐ人達や、腕を組んでゆっくりと進む男女などが、混在入り乱れて流れていく。
複数で動く者は互いを見失わない様に気を配らないと、直に、はぐれてしまいそうだ。
「もし時間があったらお茶でもどうかしら。」
ユキが問う。
「まぁ、急ぐあてもないんだが…でもいいの?主婦がそんなに油売って…」
「油とは随分ねぇ。まぁ、それはいいとして、この先にコーヒーのとてもおいしいお店があるの!
お礼にごちそうさせて?」
「俺も美しい人妻とコーヒーをご一緒出来るなんて、光栄ですよ。」
二人は人ごみの中、連れ立って歩き出した。
しばらく歩くと、細い路地を左に曲がる。表通りとはうって変わって、静かな雰囲気である。店を見つけるより前に、コーヒーの芳香が漂ってきた。
「ここなの。」ユキが立ち止まる。
小ぢんまりした店で、間口もそんなに広くはない。
「よくこんな店知ってるね。」と島。
上部のみガラスをはめ込んだ一枚板の木目のドアを開けると、そこには外から見た印象とは異なる空間が広がっていた。結構な奥行きがあり、壁には何ともいえぬ色合いの焼き煉瓦を使っており、正方形の額縁に収められた絵画がテーブル間隔にかけられている。床は明るめの寄せ木をフローリングしてあり、所々擦れてはいるが、自然な木の艶が優しく、アメ色のアンティークなテーブルとチェアとのコントラストが絶妙である。
そして、客の会話の邪魔をしない程度の音量で流れる何世紀も昔のバロックと呼ばれる音楽…。何よりも店中に漂うというよりは沁み込んでいる芳香が、疲れきった体や心を癒してくれそうだ。
「いい店だね。よく来るの?」
「ええ、うちに帰っても誰もいない時にね。ちょっと寄り道…。ここだと上げ膳据膳ですからね。私もたまには一人で本でも読みながらコーヒーでもって気分になるのよ。」
「じゃあ、あいつとは一緒に来ないの?」
「そう…ここは私の秘密の場所って訳。」と笑う。
島は内心喜んだ。ここを自分に、古代ですら知らぬ場所を―。
たあい無い事だとは思うが素直に嬉しかった。