第27話「眉隠しの霊」(日本文学紹介シリーズ) |
「義一・・・義一・・・。」どこか遠くで悲しげな女の声がする。 「誰だ?どこなんだ?」 相原は声の聞こえてきた暗闇の中へ足を踏み出した。と、梅の香りを人肌で暖めたような気配が漂い、闇の 中に和服を着たほっそりした女の襟足が白い。 「誰だ?母さんかい?」 「義一・・義一・・・。」女はゆっくりと振り向いた。顔が無かった。 「う・うわあああああああ!」相原は恐怖で跳ね起きた。 「なんだ・・、夢か。くそっ、疲れてるんだな、俺も。」 彼はベッドから起き上がり、パジャマを着替えて便所へ立った。 「おしっこすると、どうしてブルブルするんだろう・・。」 そう独り言を呟くと、喉の渇きを覚えて人気の無い食堂に向かった。「水でも飲もう。」 電気の消された奥の厨房は、大型冷蔵庫がブーンとうなり声を上げている。 「コップ、コップ。」 非常灯の薄明かりの下で、食器洗い機の中にピーターラビットの絵の入った自分のマグカップを見つけ水を汲んだ。冷たいカップに唇を付けた時、後ろでカサリという衣擦れの音が聞こえた気がして相原は凍り付いた。プーンとにんにくの匂いがした。喉を突きそうになる恐怖心を押し殺し、彼は振り向いた。冷蔵庫の前に、女の後ろ姿があった。 ‘屹と向いて、相原を見た瓜実顔は、目ぶちがふっくりと、鼻筋通って、色の白さは凄いやう。気の籠った優しい眉の両方を、懐紙でひたと隠して、大きな瞳で熟っと視て、「・・・似合ひますか。」と、にっこりした歯が黒い。’ 翌朝、気を失った相原を発見したのは、いつも早起きのブラックタイガーの加藤だった。 「お前、厨房で寝るなんてマナーが悪いぞ!」 相原は事の次第を古代や島に話したが、笑って相手にされなかった。 「またノイローゼか、相原?」 ただ独り、相原の話を真剣に聞いてくれたのは、日頃ヤマトの憲兵と陰口を言われている調査官の山田であった。「奥方風着物姿の女??」 山田は、かつて日光江戸村で見た折檻部屋や、箱根の関所後の詰問所を思い浮かべた。 「クククク・・、帯をこう、クルクルッと・・・・・天井から吊るしてだな・・・。」 騒ぎ立てる相原を、真田は苦々しい目で見ていた。新年会の出し物でウケを狙った彼は、女装を思い付いたのだ。「夜中に腹が減ったのは誤算だった・・・。」 こんなこともあろうかと用意していた宴会用の女装具一式を試着中、腹が減った真田はあの夜食堂へ忍び込み冷蔵庫にあった残り物の冥王星原生動物のスミのスパゲティを食べていたところで相原とはちあわせしたのだった。眉が無くお歯黒状態の真田を、大江戸奥方風女の幽霊と思い込んでくれたのは不幸中の幸いだった。 「だが、これでもう女装はダメだ。やっぱ、プレステのソフトでも開発しよう。」真田は呟いた。 その後、幽霊は目撃されなかった。しかし、相原の目はその時の恐怖で大きくなったまま元に戻ることはなかった。そして、折檻部屋を夢見る山田は、今も夜な夜な食堂をさまよい歩くという・・・・。 参考文献「眉隠しの霊」(泉鏡花)岩波文庫 |
鯛
2001年07月20日(金) 20時02分29秒 公開 ■この作品の著作権は鯛さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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