Cinema Deck

■映画の思い出・感想などをつぶやいていってください・・・


投稿順に表示〕〔このトピックに投稿〕〔新しいトピック〕〔トピック一覧に戻る〕〔M19981-KOBEへ

機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者- トピック削除
投稿日 2005/06/11 (土) 09:24 投稿者 長田亀吉

製作年度 2005年
製作国・地域 日本
上映時間 95分
原作 富野由悠季
脚本 富野由悠季
音楽 三枝成彰
出演もしくは声の出演 池田秀一 、飛田展男 、鈴置洋孝 、岡本麻弥 、勝生真沙子
解説: 富野由悠季が総監督、原作、脚本、絵コンテを担当する劇場3部作の第1弾。なおテーマ曲はGacktが歌っている。
ストーリー: 地球連邦政府とジオン公国の大規模な宇宙戦争から10年弱がたった。ユニバーサル・センチュリー0087。地球に住む人々とスペースコロニーに住む人々との確執は続いており、人々の魂もいまだ地球の重力から解放されていなかった。
 

 

新着順 1件 -> 1件 / 全投稿 1件中 [ ←前|次→ ]
ファン向けイベントとして楽しめました 削除
投稿日 2005/06/11 (土) 09:25 投稿者 長田亀吉

ガンダムの映画を映画館で見るのは88年に「逆襲のシャア」を観て以来です。
ガンダムそのものは以前のままなのに、自分自身は人生を歩んで年齢を重ねているというのが不思議だなあと思ったり。それは映画とは関係ない実感でありますが。

さて、映画そのものについてコメントしますと、ダイジェスト版としては良く頑張っているなあと思いました。パンフレットにも出ているのですが、新旧のフィルムをつなげる技術や過去のフィルムの一部に新しい絵を挿入する技術など「観やすくなる」工夫は随所に感じました。90分という尺もちょうど良く、「もうそろそろ飽きてきたかな」というところで映画が終わります。いいんじゃないか、と思います。カミーユと両親のこと、ジェリドのことをきちんと描写するにはどうせTVシリーズのフィルム全部流すしかないんです。しかし、このフィルムの目的は、映画作品の完成ではなく、「昔のファンの人に劇場でZを観てもらうお祭り」と考えるならこれで充分。Zには劇場版がなかったのですから。

声優さんも交代キャスト含め頑張ってたんじゃないかと思います。Gacktの新テーマ曲も作品にマッチしてました。悪くありません。

特筆すべきは、やはりメカニックのリライト部分でガンダムマークIIや百式、アッシマー、ギャプランの入り乱れる地球圏の戦闘は特に白眉でした。アムロの輸送機のシーンは素晴らしかった。

多分、第二作、第三作も劇場かDVDかは別にして観ることになると思います(劇場で観たいけれどその時に忙しかったらどうしようもないので)

今回の映画の評価というよりZガンダムそのものの観方ということになるのですが、昔、Zを観て「いやだな」という部分も結構あって、それを思い出したりもしました。Zはシャアやアムロの悩めるヒーローぶりが人間ドラマ的に大好きで、基本的に「好き」なシリーズです。しかし、前作のいわゆるファーストガンダムほどのめりこまない理由は、やはりカミーユにあったんだな、と実感しました。彼に感情移入が出来ない。名前のことをからかわれただけでいきなり相手に殴りかかる、尋問で暴行されたとはいえ、マークIIのヴァルカン砲でMPを撃つ、両親の夫婦仲の話をいきなり初対面に近い人の前で独白する…ニュータイプかどうか知りませんが、いくら思春期でもこんな子はいないんじゃないか、と。まあ、世の中絶対ということはないので言い切りはしませんが。その点、前作のアムロはアニメ的な誇張はありますが、感情表現がリアルで誰にでもある思春期の不器用さを体現してて感情移入が出来ました。ガンダムの初代とZの決定的な差はそこにあると思います。後にフォウやロザミアのエピソードが展開しますが、私自身は最後までカミーユに入り込めずにいまして、それほど感動できませんでした。当時角川のアニメ誌で絶賛していたのを観て「うーん、これ観て感動してない俺は変なのか」と思ったものです。
今、時を経て、自分の中での評価を改めて申し上げると主軸となるカミーユの人物造型がきちんと出来て居ないZは失敗作だと思います。変な人を確信犯的に造型したとしても、ロボットアニメの主役にしちゃいかんでしょ、ということです。

もうひとつ、リメイクということについて。PS2のヤマト三部作といい、リメイクについて考えることが多くなりました。正直なところ、私は科学的考証がどう加わろうがあまり関心がないのです。むしろ、その作品ごとに合った世界観の設定というのがあるはずで、時代が進んだから科学考証を厚くしてみましょう、というのは間違っていると思ってます。作品としてのバランスを失った別作品になることが多いのです。今回のZガンダムでも2Dの作戦図がわざわざ3DCGを挿入してリメイクされたシーンがありましたが、「違うなあ」と思いました。小型端末で30バンチ事件を見せるシーンも同様。Zの世界は確かに宇宙世紀ですが同時に1980年代じゃないですか?あの時代の空気を引きずった作品だし(カミーユの家庭環境やそこから生じる彼の性格破綻は80年代の家庭崩壊の反映だと思います。屈折したヒーローたちも絶対の英雄伝説が失われた時代の象徴…)、それがないと成立しないと思ってますが、今回の映画版はダイジェストのクセに「今」であろうと主張する。ちぐはぐさを感じました。(ここでコメントするのもナニですが、PS2ヤマト3部作の「コンピューターウイルス」で水晶都市崩壊というオチも既にヤマトではないと思ってます。肝心なところでこだわってない…)
例えば、ヤマトをリメイクして「相原のお母さんのヘアスタイル」が変わったら19話は成立しないんじゃないかと…これは冗談ではなくそう思います。ヤマトも2199年じゃなくて実は1974年の、あるいは戦後日本の物語なんですよね。時代設定は表面だけを見ていてはいけないと思うのです。
リメイクといえば、私が一番関心を持つのがストーリーの扱いです。ヤマトでも劇場版への移行に当たってスターシャを死んだことにしたり、ということをしましたが、あれは時間の枠内に収めるという苦肉の策ですし、しょうがないかと思ってます。功罪とわれるのは、「さらば」のあとの「2」でしょうね。ラストを変えたことでファンの間では賛否両論がありました。私は「完結篇」の方が「さらば」よりもシリーズの終幕として相応しいと思っているので、「2」が出来たことに感謝している方ですが、それでも、「もし最初のテレビシリーズ、あるいは『さらば』で終わっていたら、ヤマトの作品としてのカリスマ度は圧倒的だったんだろうなあ」と思うこともあります。(今は、スタートレックの影響で、「どちらも本当だけど時間軸が分岐した結果二つの歴史が展開してるんだ」と思ってます。脳内補完と言うやつですね。)
Zガンダムでは皆さんご存知のようにカミーユがあんなことになっちゃいますよね。で、今度の劇場版3部作では少しラストが変わるとも云われています。私はそんなに熱いファンじゃないから、「ふーん」で済んでしまうのですが、当時からZを愛してきたファンはどう受け取るのでしょうか。ヤマト以上に厳密な「宇宙世紀」の年表を心に刻み付けているガンダムファンたちにとって、もしかすると歴史が変わってしまうことはどうなんでしょうね…。私の中ではあの救いのないラストがあって、はじめてカミーユの性格破綻振りについて納得も出来たのですが…。今は、とりあえず、富野さんの料理振りに期待してみたいと思います。

 
 
新着順 1件 -> 1件 / 全投稿 1件中 [ ←前|次→ ]
 
このトピックに投稿
 
投稿者 
メール 
 タイトル 
コメント  改行有効 改行無効 図表モード アドレスを自動リンク
検索キー  半角スペースで区切る
リンク 
 
 個人情報を保存  削除キー